縄文の器 スケッチ帳-2
移動 → -1 -3 -4 -5 -6 -7 -8 -9 -10
(各「スケッチ帳」内のデータは 2002年から2009年に各地で得たものです。現在では地域名や施設名の変更・施設の移転や廃止の可能性もあります)
049 〜 096
049 線描は二本か三本の線をそろえて平行に刻まれる。斜線や縄文による面の区別はない。線を見る眼は自然にその行き先をたどる。ここでは長いものでも曲がりくねった末に別の線にぶつかって両端を終わる。まれに三差路のように分岐している部分もある。下をくぐるのはないようだ。この線の流れを見ているとどうしても二本並んだ通路のように見えてしまう。ここをたどるのは具体物ではないだろう。それは何かの想念の移り変わりなのかもしれない。
「朱彩壺」 ・ B.C.約2000年 ・ 大湯ストーンサークル館 ・ 秋田県鹿角市
050 「鉢」の特徴は意匠の施し方だ。これは“Bowl”と表示されるとおり浅い半球だ。口辺は反り返る花びらのように外へ開く。中底に線で描かれるのは周囲4つの繰り返し模様で、鉢本体が5角形であることに無頓着である。側面にも、ただ同じ意匠が描かれる。「壺」はバランスのよい曲線による姿を見せる。首の高いところから斜めに降りてきた2本の線が胴のふくらみにS字を描く。その下には器を取り巻く帯がある。曲線の滑らかな流れにはたいそう気を付けながら、帯線の乱れを気にする様子はない。
「鉢形土器」・「壺形土器」 ・ B.C.約2000年 ・ 大湯ストーンサークル館 ・ 秋田県鹿角市
051 見方によっては、2本線が主になって何か形を表しているようにも見える。たとえば、中央の輪を作る2本線をもとにして全ての線を見ると右下の図のようになる。つながり方が間違っていて逆に隙間をひろっている場合もあるかもしれない。ここで隙間になっている方こそ本来の描かれた形である場合もある。曲線の多くは、ただあいまいに漂い、気ままに膨らんだり流れたりしている。中央で菱形に囲まれた円や左上で二つ並んだ楕円は何か意味ありげにも見える。
「土器棺」 ・ B.C.約2000年 ・ 大湯ストーンサークル館 ・ 秋田県鹿角市
052 文様のほとんどは二本の線で明解に描かれる。まるで道を表した地図のようだが、たぶんそんなはずはない。けっして幾何文様でもない。道なりにできたS字を除けばどんな対称図形も見られない。道は坂を下ったり、迂回したり、S字型カーブを作って丸まったりする。分かれ道や上下の水平な線にぶつかって行き止まりになるのはあるが他の線をくぐるのはあまりない。…。この曲面の全てを二本線で構成しようとする強い意欲だけははっきりと伝わってくる。
「深鉢」 ・ B.C.約2000年 ・ 大湯ストーンサークル館(青森市教育委員会蔵) ・ 秋田県鹿角市
053 下の方で思い切り細く絞られたかたちは、口辺の意匠とともに実用的ではない。側面には円をつぶしたような、それだけで一周する線が描かれる。一見、2本線のようだが明らかに外側の線の方が深く刻まれている。口辺と三つの突起には平面を折り重ねたような独特の表現がされる。突起では面そのものがねじれ、反り返り、反転する。人の眼はいつの間にか自然に線をたどっているが、面に対してもその傾いて行く先をたどろうとする。面をたどって空間の有り様を確かめようとするのだろうか。
「取手状装飾付土器」 ・ B.C.約1500年 ・ 大湯ストーンサークル館 ・ 秋田県鹿角市
054 この容器の文様からは作り手の様子がよく分かる。線の行き先に気を配っている。この線は、はるか遠くからゆるやかに流れてきて前方に何かを認めるとしなやかに向きを変える。また、あの線は、次第に相手に近づいていって彼が不意に旋回するのに間を置かず合わせて向きを変え、いつの間にか合流している。このように、線の流れる経過と行き先をおろそかにしないことこそ縄文の感性なのだ。
「台付鉢形土器」 ・ B.C1000~0年 ・ 亀ヶ岡考古資料室(縄文館) 青森県西津軽郡木造町
055 上部の周囲と内側には赤いものがかなり残っている。下の方にも所々赤い点が小さく残っている。…。赤い点は、盛り上がった線のすぐそばに多い。全面に塗られていたかどうか分からない。…。縄文では、よく表面に縄目や刻んだ斜線で面を区別しているから、ここで漆を使う場合にも文様の色分けをしたかもしれない。下全面に隙間なく描かれた線は、やや機械的で固い感じだ。いつもの水平な線を開いたり閉じたりする文様がくり返される。
「皿形土器」 ・ B.C.1000~0年 ・ 亀ヶ岡考古資料室(縄文館) 青森県西津軽郡木造町
056 胴のふくらみは、少し持ち上げられて上の方に量感を出す。ほどよい高さに立つ口は先の方でやや開く。口辺に並んだ小さな突起が外側に反っているのだ。文様の配置もよく整理されている。胴の文様は表面の高さが全てそろっていて平らなので、するどく掘り取って描いたように見える。漆は文様の部分に一面に塗られる。胴の下半分と口の部分はほんのかすかに赤い部分が見られる。非常に滑らかに磨かれているので一面に塗られた漆がとれてしまったのかもしれない。
「漆塗壺形土器」 ・ B.C100.0~0年 ・ 亀ヶ岡考古資料室(縄文館) 青森県西津軽郡木造町
057・058 は空欄(存在しない)
059 複製。表現がやや単調でひかえめなせいだろうか、この容器には外形と文様との不思議な調和を感じる。すでに、およそ1万年も前にこの形ができていて使われていたのだ。この容器を両脇に抱えて水などを運んだり、両手に持ってこれから火を焚く炉の中に立てたりする。手のひらでかたちの曲面に触れ、肌の感触を確かめる。…輪郭線の流れや器の肌はかならずこうでなくても容器として用は足せる。しかし、人々にとってはこの輪郭線とこの量感、この肌合いでなければならなかった。
「隆線文土器(複製)」 ・ B.C.約8000年 ・ 青森県立郷土館 ・ 青森県青森市
060 このかたちの側面は斜め上から眺めるのに適している。作り手もそんなふうに見ながら粘土ひもを押しつけていったのだろう。そこに描かれる文様は、あるかたちの繰り返しだ。その一つの始まりと終わりがどこなのかは分からない。この文様の必要事項は作り手の頭の中に入っているらしい。が、実際には細部にこだわる様子はない。各部の大きさ、つながり方などはその場その場で適当に処理しているように見える。多分、彼にとって大切なのは、必ずしもここに見えている形ではなく頭の中にあるかたちの方なのだ。
「壺」 ・ B.C.約2000年 ・ 青森県立郷土館 ・ 青森県青森市
061 ふくらんだ胴は豊かな容積を示しているからきわめて実用的な容器だ。するとこの筒は何に使われたのだろうか。小枝で作った棒を差したかもしれない。あるいは横木を渡し留めて何かを吊すか乗せるかしたのか。とにかく、ただの飾りには思えない。下の方の胴の狭まったところには、食べ物を持ち上げたくて「すのこ」を置いたかもしれない。いろいろな調理法を思い浮かべてみる。側面には垂れた柳の葉のような線条が幾筋かある。
「深鉢」 ・ B.C.約3000年 ・ 青森県立郷土館 ・ 青森県青森市
062 脇から見ると取っ手の下の部分はかなり広がっている。他にも文様の刻まれた弥生土器が展示されているが、このカップがもっとも縄文的風貌を残している。文様の線は彫刻刀の丸刀で深く削り進んだように見える。それは気ままに横に流れたり、ゆるやかに登ってまた降りたりする。くずして伸ばして角を丸めた三角形のようにもなる。他の土器の文様が規則的な繰り返しであるのに比べて、きわめて自由に描かれる。取っ手にしても、脇からめくれ上がったり、重なって段差をつくったり、前方にせり出したりして盛んに空間に飛び出そうとする。
「取手付鉢」 ・ A.C./B.C.約0年 ・ 青森県立郷土館 ・ 青森県青森市
063 口辺部は荒れているが八つのゆるやかに尖る頂点がどうやら見られる。目を引くのは上部の文様だ。何か旗の模様のようなのが、たぶん8枚並んでいる。こういう機械的な線の模様や配列は中部地方ではあまり見ない。
「円筒下層式土器」 ・ B.C.約3500年 ・ 野辺地町歴史民俗資料館 ・ 青森県上北郡野辺地町
064 この彫りの深い文様はいかにも太めの縄を結んだというように見える。よく見てみると細かいところでは必ずしもそうとはいえない。それにしても、四つの突起の下で両脇に輪を垂らした部分では、結びの印象が強くあらわれている。ひも状のものをこのようなかたちに結ぶことが日常からよくあったのかもしれない。さらに下に垂れる菱形は紙垂のようにも見えるが、これは考えすぎか。
「円筒上層式土器」 ・ B.C.約3000年 ・ 野辺地町歴史民俗資料館 ・ 青森県上北郡野辺地町
065 これを見てすぐ思い浮かべたのが、岩手県立博物館の「注口付鉢」だ。あれと同じようにトンネルの内部を見せている。もっとも、わざわざ切り開いて見せたというようなあんなあからさまな見せ方ではない。ここでは周囲に開いた口がもともと開いているもののようにつくられる。中には小穴が二段にどこまでも並んでいる。甕棺を取り巻くこの通路のようなものは何だろうか。見る者にこの通路を晒すのは何のためか。
「蓋付甕棺」 ・ B.C.約2000年 ・ 野辺地町歴史民俗資料館 ・ 青森県上北郡野辺地町
066 この土器の線の流れには不思議な表情がある。大きく曲がるにもゆるやかに波打つにもけっして無理をしない。あくまでなめらかである。かたちにはどのような対称性もないように見える。口辺の片側だけに立つ飾りはもっとも目立つし、たぶん作り手にとって重要な部分なのだ。くねり曲がる立体の中に二つの穴が開いている。開けたのではなくかたちを構成するうちに穴が生じたのだろう。このかたちができて以来、人々の眼はこの紐をたどり、この溝をたどり、この曲面の肌をたどって空間に遊ぶ。
容器の内側周囲に二本の線がある。信じられないくらいに自然に内壁から隆起したこの線は、どんな道具でつくられたのか。それは、ただていねいに線を刻むへら先ではない。この線のなめらかさは、それをどうしても必要とする気持ちがなければつくり出せない。
「大木系土器」 ・ B.C.約2000年 ・ 野辺地町歴史民俗資料館 ・ 青森県上北郡野辺地町
067 中身は液体しか考えられない。この華やかな容器の容積は十分にある。どんな使われ形をしたのだろう。胴の文様は、幅広にくねりまわる雲形。いや、雲形というより、肉感的な手足の印象に近い。この線による量感は、いま眼にしている我々が勝手に感じているだけのことだろうか。主となるかたちは、その面に刻まれた縄文によって明らかに余白部分と区別される。上下に重なったように見える部分もある。一種類の図形が周囲に4回くり返されているようだ。例によって巧妙な配列の中で細部は自由に処理される。
「壺形土器」 ・ B.C.1000~500年 ・ 八戸市縄文学習館 ・ 青森県八戸市
068 底の部分は広く、そこにもふつうにはない文様が刻まれている。この皿は、当時でも裏返して見ることがよくあったのだ。底の文様は、大まかに点対称をなす。けれども、その両側の図は少しも似ていなくて、対称図形を完成する気はないようだ。側面では同じ模様が3つ連なって描かれる。皿の縁から出た線が右へ長く伸ばされて底の稜線に降りる。その他の図形はそれに繋がる飾りのように見える。くり返されるかたちは、楽しんで面を埋めているにすぎないのか、あるいは何かの想いを確実に刻みつけようとしているのか。
「皿形土器」 ・ B.C.1000~500年 ・ 八戸市縄文学習館 ・ 青森県八戸市
069 この土器は2つの部分からできているように見える。注ぎ口の付いた浅い皿のような容器と、その広い面を高く覆うもの。かぶせて隠そうとするのか守ろうとするのか分からないけれども、中身を大事にしたいのは分かる。この形になる前は、縁の一部をへこませただけの注ぎ口をした皿だったのかもしれない。これと香炉形土器は同じ仲間のように見える。中身の大切さを示すために香炉の覆いを借りたのかもしれない。いずれにしても、注ぎ口がこのように下に位置する以上、上のようなことを思わずにはいられないのだ。
「注口土器」 ・ B.C.1000~500年 ・ 八戸市縄文学習館 ・ 青森県八戸市
070 注口土器ではどうやら注ぎ口のある方が構成上の正面であるらしい。たいていの場合に注ぎ口を中心として文様や突起が配置されている。この土器でも正面から見るとほぼ左右対称の配置になっている。容器の口辺で注ぎ口の上だけに飾られる突起。注ぎ口のまわりには短い紐が4本ずつ、先端を交叉させて2重の輪をつくる。側面の文様が少し違う。いや、両側面にも同じ文様が描かれているのだが正面で両側に見えているのは同じ文様の始まりのかたちと終わりのかたちなのだ。人々は、ときにはこれを手にとって側面を順に眺めていたような気がする。
「注口土器」 ・ B.C.1000~500年 ・ 八戸市縄文学習館 ・ 青森県八戸市
071 内部の空間は上に二つの穴を設けて閉じられている。工程のどこで蓋を閉めたのだろうか。注ぎ口の位置のことを別にしても、このかたちには容器としての実用性がほとんどない。しかし、非常に精緻な作りだ。
「注口土器」 ・ B.C.1000~500年 ・ 八戸市縄文学習館 ・ 青森県八戸市
072 この文様には、ついつい植物の姿を思い浮かべてしまう。横に伸びる太い枝があって、途中途中に小枝が出てその先には必ず葉が茂っている。それが、この大きめの容器の装飾なのだ。彼らがそのような具体物を描くはずはないとは思うのだが。
「甕形土器」 ・ B.C.1000~500年 ・ 八戸市縄文学習館 ・ 青森県八戸市
073 これは、かなり大きい壺だが表面は艶々と黒光りして、表現はひかえめだが精密に、たぶん当時の習わし通りにあるべき線を刻みあるべき膨らみを盛りつけている。現場では気にならなかったけれども、写真を見るとかたちがいびつだ。上半身が中心線から右へ寄っている。ガラス越しに斜めに見たせいかと思って作図上はあとから中心線に向けて修正した。だが、もしかすると本当にこれはひどくいびつなのかもしれない。そうだとすると、この精巧さとこの外形のゆがみに対する無頓着はどういうことなのだろうか。
「壺形土器」 ・ B.C.1000~500年 ・ 八戸市縄文学習館 ・ 青森県八戸市
074 端正な姿の縄文は決して晩期だけではなく、ほとんどその最初からあるようだ。だから、処理の仕方はちがっていても縄文は常にこの方向を持っていた。それがいつも共通してあらわれるのは面の流れと輪郭線だ。それは単純さなのだけれどもただの直線でも鋭角でもない。しなやかに延びる面と線、前後の関係からそれしかありえないように曲がり向きを変える輪郭線だ。この椀のかたちは今でも気持ちのよい優れた工芸品と同じかたちをしている。
「鉢形土器」 ・ B.C.500~1000年 ・ 八戸市縄文学習館 ・ 青森県八戸市
075 大まかに区切られた面は上下にも繋がって穏やかに収まっている。何となく線を引いてできるかたちではない。どの線にも乱れはない。線はなんの無理もなく曲がり接し合流し重なる。そこで、面は漂うように流れ、ときにはつぎの面に自然に潜り込むことができる。この面の表情と調和させるために器の縁もこんなになめらかに丸められているのかもしれない。これは気ままな感性が楽しんでいるうちにできた偶然の産物か、あるいは今はもう説明できないけれどもなにごとかの関係を確実に表しているのか。
「皿形土器」 ・ B.C.1000~500年 ・ 八戸市縄文学習館 ・ 青森県八戸市
076 全体に丸っこい感じにできている。上部以外はただなめらかに磨かれているだけだ。口辺にのった飾りが注ぎ口の反対側にあるのもめずらしい。丸く膨らんだ上部の文様はそれ自身もまた膨らんだり浮き出したりしている。文様の線にはこの時期の他のものに比べると細部にこだわらない気さくな雰囲気がある。
「注口土器」 ・ B.C.1000~500年 ・ 八戸市縄文学習館 ・ 青森県八戸市
077 皿の面には少しの凹凸も許さないといった気構えを感じさせる。この皿の部分を真横から見ると、側面はまっすぐ広がってするどい角度で限りなく口辺に迫る。台は下の方へゆるやかに広がる。側面の輪郭線では唯一の曲線だ。これほど緊張感のあるかたちにも、口辺には突起がある。たぶん12個の、外を向いて等間隔に置かれたひかえめな突起。
「台付土器」 ・ B.C.1000~500年 ・ 八戸市縄文学習館 ・ 青森県八戸市
078 胴に刻まれた文様の表現には規則的な繰り返しがあまりないようだ。比較的変化に富む面があって、そこから左右へ目を移していくと次第に2本の横線が目立ってくる。その上下には中で広がったくぼみや閉じた三角の隙間が所々にある。真後ろは分からないが、見える限りはこのようだ。左の図の変化の多い面は眺めているとおもしろい。上からの逆S字状の流れが変化を作り出している。左右から来た流れがそれぞれ分岐してS字に合流する。左右から流れて来るもう1本は途絶えて隙間ができる。そこをそれぞれ上下から生まれ出た「かたち」が埋める。Sの中心で点対称を構成している。配置は対称だが各部分のかたちには変化があって堅苦しさはない。
「壺形土器」 ・ B.C.1000~500年 ・ 八戸市縄文学習館 ・ 青森県八戸市
079この文様構成は非常に明確だ。底の周囲を4つに区画し、その一つ一つに同じ文様をはめこんでいる。文様の面には細かい縄文が付けられている部分があって他の部分と分けている。文様の線は、V字形に見える溝や巻きひげ状の先端の細まり方などから、するどい三角刀を使ったかのようだ。この繊細な模様は全体に軽い華やかな印象を与えている。
「皿形土器」 ・ B.C.1000~500年 ・ 八戸市縄文学習館 ・ 青森県八戸市
080 文様にはなめらかな曲線が伺われるが惜しいことに陰になってよく見えない。底に台はなく、内側もそのまま平たい。かなり大きなもので30㎝くらいある。皿というより浅鉢だろうか。口辺はかすかに波打ち、4カ所の突起はほんの申しわけ程度に付いている。
「皿形土器」 ・ B.C.1000~500年 ・ 八戸市縄文学習館 ・ 青森県八戸市
081側面低部は横のラインではっきりと区別し何も表さない。伏せて見せているからだろうか、花びらのように波打って開いた口辺から側面の大部分を装う文様は謎めいて、また、華やかでさえある。埋めてしまうこの棺もこんなにもていねいに心を込めて作られた。
「甕棺」 ・ B.C.4000~3000年 ・ 八戸市博物館 ・ 青森県八戸市
082 すぐ目に付くのは道から外へ飛び出すようにくっついた三角形だ。これも周囲で何度かくり返される。どの三角も、上の辺はほぼ水平で姿勢も同じだが本体につながる位置にはずれがある。他にも、S字の途中で決まった位置でもないのに斜めの道に接してつながったり、文様の上下で隙間を埋める形が適当に処理されたりする。描き手の形作りは気ままなのだ。三角やS字は、たしかに何事かを表しているように見える。しかし、「かたち」そのものは流動的であいまいだ。もし表現する主題のようなものがあったとしても、それは想念ではあるかもしれないが明確な「かたち」ではない。彼らに大切だったのは「かたち」ではない。
「深鉢形土器」 ・ B.C.2000~1000年 ・ 八戸市博物館 ・ 青森県八戸市
083 上部に描かれる二等辺三角形は建築物の破風のようでもある。隣に続くかたちでは、これが逆三角形になるようだから、実際にはS字形連続模様の一部だ。ここでは、描き手は明らかに直線を意識している。下の胴の側面ではゆるやかな弧線をたがいに組み合わせている。右寄りに見ると、中段でこれはS字形の入り組み模様とでもいうかたちになる。文様全体は細い緊張した線で描かれる。文様はすべて、器の4つの頂点に連動した前後二組の連続模様らしい。やはり、これは十分に構成的な文様なのだ。
「とんがり底の土器」 ・ B.C.6000~5000年 ・ 八戸市博物館 ・ 青森県八戸市
084 これは、まるで伸びやかな蔓性植物のイメージ。遠いむかしに、どのような感性がこうしたかたちをさえ浮かび上がらせるのか。たとえば、今となっては理解しがたい神懸かりの異常な感覚で生み出されるのか。しかし、このかたちに乱れはない。この浅鉢は静かに落ち着いた雰囲気で作られている。
「浅鉢形土器」 ・ B.C.3000~2000年 ・ 八戸市博物館 ・ 青森県八戸市
085 これは、頂点のかたちからいって「とんがり底の土器」と同じなかまだ。尖った5つの頂点は精いっぱい大きく広がり空間を受け取ろう、包みこもうとする。この土器は自らを上部のかたちで主張している。胴を締める2段の細い帯は上の花弁のような広がりを強調する。
「深鉢形土器」 ・ B.C.2000~1000年 ・ 八戸市博物館 ・ 青森県八戸市
086 惜しいことに、表面が斑点状にはがれてしまった壺形土器。ていねいに描かれた文様は、縄文晩期の硬さを巧みに隠して大胆に渦巻き激しく流れて躍動的だ。それとも、この一面に散る斑点が見る者の眼をごまかしているのだろうか。こんなに、表面が部分部分で薄くはがれたのはなぜだろう。よく磨けるように、きめの細かい粘土を表面にだけ別に重ねたとか。
「壺形土器」 ・ B.C.1000~B.C./A.C.0年 ・ 八戸市博物館 ・ 青森県八戸市
087 思い切り胴を平たくした注口土器。たぶん、儀 式用の注口土器の典型だ。もし液体を入れても、薄い胴の半分も満たさないだろう。この器の主な役割は上部に描かれた文様が担っている。文様は形式的で硬い。それは几帳面な繰り返しと、その模様のつながりに動感が少ないせいだろう。
この土器は上からつぶされたような割れ方をしている。
「注口土器」 ・ B.C.1000~B.C./A.C.0年 ・ 八戸市博物館 ・ 青森県八戸市
088 この文様の特徴はZ形に行き来する線にある。横向きに鋭く大胆に引いた線に見えるが、ずいぶん雑に刻まれたようにも見える。横向きの板の木目のように順に内側に並ぶべきところが上の線にくっついてしまう部分が何箇所かある。あるいは、これも本来こうあるべきものの一つで、木目のようにいつも離れているものと思いこむ方がいけないのかもしれない。ていねいな表現ではないが見かけ上の完璧さを望んでいないようにも見える。
「浅鉢形土器」 ・ B.C.約500年 ・ 北上市立博物館 ・ 岩手県北上市
089 これは鎖だろうか。四つの突起のうち、右寄りの一つ以外は後から補われたものらしい。口辺の棚のようなものは、まるで崖の壁に沿って伝い歩きをさせるための通路のようである。通路をまたぐ突起には形の定まらないあいまいさがある。何となくつまみ出されたという風だ。くさりは通路を横切って側面に垂れる。よく見るとそれぞれ少しずつ違いがある。短く開いた筒、丸い輪、鎖編みのように引っ張り出された輪。それらが明らかに連なっている。隣と繋がったり弧を描いて垂れたりする。日頃の生活の中に鎖があったはずはないが、それに代わるものをよく眼にしていたのだろうか。
「深鉢形土器」 ・ B.C.約2000年 ・ 北上市立博物館 ・ 岩手県北上市
090 縄文土器の口辺には変わったかたちの突起がいろいろ乗っているが、この突起はこれまでになく不思議な形に組み合わされている。これは、動物の三半規管に近いいくつかの骨とか、複雑な姿に進化した貝類とかを思わせる。そのように意味ありげな形なのだ。面は反り返り湾曲して内側に滑り込み、面に挟まれた溝は回転していつの間にか外へ逃れ出る。
「深鉢形土器」 ・ B.C.約2000年 ・ 北上市立博物館 ・ 岩手県北上市
091 二段に重なった口辺のそれぞれから生え出すようにして屹立する茎。取っ手としてつかむにはやや小さい。容器としてはじゃまになるだけだ。何か意味を含みながらも、口辺での遊びに近いものか。容器の口辺に突起を乗せる傾向は縄文の早い時期から最後まで続いた特徴だ。そして、ほとんどの場合に実用性がなさそうだ。これは、人間に備わった立体に対する鋭敏な感覚を目覚めさせる遊びのようなものかもしれない。
「高台付浅鉢」 ・ B.C.約500年 ・ 北上市立博物館 ・ 岩手県北上市
092 たがを締めた桶のような深鉢。そのような木製の桶があったはずはない。しかし、大きく割れた深鉢を竹か縄で締めてもう一度使うことはあったかもしれない。それにしてもこの姿は、まだついこの間まで使われていた底の深い桶によく似ている。
「深鉢形土器」 ・ B.C3000~2000年 ・ 陸前高田市立博物館 ・ 岩手県陸前高田市
093 下に円筒形の台、ふくらんだ胴の上には大きく広がる口。この土器ではその形式がよく整って示されている。もう一つ目を引くのは口辺にある突起の形だ。この突起はただ乗っているように見える。あるいはただ跨っているように見える。ふつうの縄文の突起のように口辺から巻きあがったり、内から流れ出たり、外からいつの間にかくねり込むということがない。四角を押しつけて重ねた段も珍しい。
「深鉢形土器」 ・ B.C4000~3000年 ・ 陸前高田市立博物館 ・ 岩手県陸前高田市
094 胴のふくらみ、口辺に波うつ曲線、側面をやさしく包む線描。全体をこうも見事に調和させたのは何者か。口辺の突起には穴があるが浅くへこませるだけにとどめている。胴の文様は、おそらく4回繰り返される。交差する線条は容器のふくらみを強調する。その交点には円を置き、口辺の下にも3つのボタンをさげる。首の下にW型に吊られるモール。これらはほどよく抑制された華やかさとでもいおうか。
「深鉢形土器」 ・ B.C4000~3000年 ・ 大船渡市立博物館 ・ 岩手県大船渡市
095 これも華麗な線刻の口の広い深鉢。今の感覚ではあまりにも台が細い。これはたぶん、平らな場所にいつまでも長く置く必要がなかったからだろう。文様を上半分に限っている。それでもまだ、口辺近くの刻みは余分のような気がする。口辺は部分的に補われているので確かではないが小さい突起が2つ組になって4箇所あるように思う。同心円やその弧でできた波紋のデザインは、その4箇所の突起の下で繰り返される。
「深鉢形土器」 ・ B.C3000~2000年 ・ 大船渡市立博物館 ・ 岩手県大船渡市
096 向こう側が見にくく不確かな部分があるが、どうやらここには二種類の渦巻きがある。一つは皿の底に接するもので二箇所。もう一つは口辺に接するもので二つ並んで二箇所。それらが皿の中心で点対称となっている。模様はかなり形式的になっていて、渦巻きの流れをたどるのは少しむずかしい。それでも、部分は押し付けられた縄文の有無によって区別されている。あいだに置かれた「三つ又」は渦巻きの外側を走る線をかたちづくる名残のようだ。本来の渦巻きはもっと躍動的なものだったのだろう。
「浅鉢形土器」 ・ B.C1000~200年 ・ 大船渡市立博物館 ・ 岩手県大船渡市